2015年7月25日土曜日

中島岳志先生の北大最後のゼミで植村さんが講義。日本の国公立大学では初めて。

 015年7月21日の午後、北海道大学公共政策大学院の中島岳志ゼミで、植村さんが講師を務め、バッシングの経緯や誹謗中傷への反証のほか、韓国とのつながりや記者時代に取材したテーマなどについて、熱く語りました
  アメリカでは6大学で8回の授業や講演を行った植村さんですが、これまで日本の大学ではなかなかその機会がなく、国公立大学ではこれが初めてとなります。



 この日は、東京工業大学への移籍が決まった中島岳志准教授の最後の授業でもあり、北海道新聞でも紹介されました。

2015年7月18日土曜日

札幌地裁からの移送決定の取り消しを求める署名活動へご協力ください(送り先追加されました)

札幌弁護団は次のように訴えています。
*******札幌弁護団より********
私たちは、札幌地方裁判所に名誉毀損訴訟を起こしましたが、札幌地方裁判所は、被告らの移送申立てを受けて、東京地裁に移送する決定をしました。
その理由は、被告らの関係者は東京周辺に在住していることや被告らが札幌に出廷する期日調整が困難であるといった技術的理由から、東京地裁に移送を決定しました。
  しかし、非常勤講師である植村さんと著名なジャーナリストや出版社の経済格差は明らかです。しかも、植村さんは名誉毀損の被害者であり、その名誉毀損によって職を失った方です。
それにも関わらず、植村さんと弁護団に毎回、東京に出廷を求めることは極めて不公平です。また、移送決定は、マスメディアによる一市民に対する名誉毀損事件を事実上東京地裁の専属管轄とする結果を招く先例となる無謀かつ極めて不当な決定です。
植村さんの被害の実態を十分に審理するためには、裁判は地元である札幌地裁で行うことが必要ですし、最もふさわしいと考えられます。そこで、私たちは札幌高等裁判所に抗告し、現在、審理されています。
この裁判は、札幌の弁護士を中心に107名もの弁護士が代理人となっています。
植村さんの名誉を回復するためであることは言うまでもありません。慰安婦問題をなきものにしたい者たちによって「捏造記者」のレッテルを貼られ、過去の言動をなきものにされようとしている言論の自由、脅迫や圧力等による大学の人事介入や大学の自治、学問の自由の危機。こうした自由の危機的状況を象徴する事件だと考えているからです。
植村訴訟は、私たちは札幌地裁での審理を求めていますが、残念ながら札幌地裁は不当にも東京地裁への移送を決定してしまいました。札幌高裁の判断も予断を許しません。
しかし、仮に、東京地裁に移送された場合であっても、講演会や裁判報告集会などを企画して、みなさんに裁判の状況をご報告したいと考えています。また、植村さんの名誉回復や今日の事態を打開するためには市民の皆様のご支援も必要になります。今後ともぜひ応援をよろしくお願いします。
****************************
署名用紙・印刷用
このような訴えを受け、その決定の取り消しを求める署名活動が始まりました。是非ご協力をお願いいたします。
高裁の決定が迫っていることから、遅くても7月27日までに、以下へ郵送していただき 〒060-0042
札幌市中央区大通西12丁目
北海道合同法律事務所気付
北星学園大学卒業生有志一同 

★集まった署名の送り先に、FAXとメール(スキャンした用紙を添付)が追加されました。
よろしくお願いします。
FAX:011-231-3444
メール:uemurasaiban.sapporo@gmail.com
どうかよろしくお願いいたします。

2015年7月17日金曜日

札幌訴訟の状況についてー札幌弁護団から

*********札幌弁護団より*************

1 はじめに
  2015年2月10日、朝日新聞元記者で北星学園大学非常勤講師の植村隆さんを原告として、ジャーナリストの櫻井よしこ氏、週刊新潮や週刊ダイヤモンド、雑誌WiLLを発行する出版社らに対して、名誉毀損を理由として謝罪広告の掲載や損害賠償の支払いを求める訴訟を札幌地裁に起こしました。

2 植村隆さんに対する誹謗中傷
  植村さんは、1991年8月11日付朝日新聞大阪本社版社会面に、はじめていわゆる従軍慰安婦として名乗り出た金学順さんの署名記事を書きました。その記事は「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行」というものでした。植村さんはこの24年も前の記事を巡り「捏造記者」という汚名を着せられ、激しい誹謗中傷に晒されています。
  植村批判は、勤労動員する「女子挺身隊」と無関係の従軍慰安婦とを意図的に混同させ、日本が強制連行したかのような記事にしたなどというものです。
  しかし、植村さんが記事を書いた当時、韓国では「挺身隊」という言葉は「慰安婦」を意味し、日本のメディアにおいても踏襲されていました。朝日新聞だけでなく、読売新聞、産経新聞などの他紙も慰安婦のことを「挺身隊」と表記していました。このように植村批判は全くの的外れであり、慰安婦問題にとって全く本質的な批判ではありません。朝日新聞の2014年8月5日の検証記事でも植村さんの記事に「意図的な事実のねじ曲げなどありません」と結論付けられました。
  ところが、植村さんへの誹謗中傷は止むどころか、日ごとに高まるばかりでした。北星学園大学にはいやがらせ電話や手紙が寄せられ、「あの元朝日(チョウニチ)新聞記者=捏造朝日記者の植村隆を講師として雇っているそうだな。売国奴、国賊の。植村の居場所を突き止めて、なぶり殺しにしてやる。すぐに辞めさせろ。やらないのであれば、天誅として学生を痛めつけてやる」などの脅迫文も多く届いています。さらに、脅迫は植村さんの家族にまで及んでいます。インターネットには娘さんの写真が晒され、コメントには「こいつの父親のせいでどれだけの日本人が苦労したことか。親父が超絶反日活動で何も稼いだで(原文ママ)贅沢三昧で育ったのだろう。自殺するまで追い込むしかない」「なんだまるで朝鮮人だな。ハーフだから当たり前か。さすが売国奴の娘にふさわしい朝鮮顔だ」などと極めて下品な書き込みが溢れています。

3 櫻井よしこ氏による憎悪の扇動
  ジャーナリストの櫻井よしこ氏は、植村さんや家族、北星学園大学が、このように脅迫や暴力の恐怖に晒されていることを知りながら、雑誌やインターネット上で植村さんの記事が「捏造」であると誹謗中傷を繰り返し、さらに教員の適格性がないと人格非難まで続けています。
  たとえば、「若い少女たちが強制連行されたという報告の基となったのが「朝日新聞」の植村隆記者の捏造記事である」「こんな人物に、はたして学生を教える資格があるのか、と。一体、誰がこんな人物の授業を受けたいだろうか」というように。
  それどころか「植村氏を教壇に立たせて学生に教えさせることが大学教育のあるべき姿なのか、と北星学園大学にも問いたい」と、北星学園大学を中傷する発言さえあります。
  ジャーナリストであるならば、植村さんの言論活動が暴力により否定されそうな事態に対して、立場を超えて脅迫者らを非難すべきです。ところが、櫻井氏は「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは、朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」などと、あたかも暴力行為を正当化するかのような言説まで振りまいています。
  櫻井氏の社会的影響力に照らせば、その言動が植村さんに向けられた憎悪を煽るものだと言うことができると思います。私たちは提訴前に櫻井氏に対して記事の訂正と謝罪を求めましたが、櫻井氏はそれを拒否したため、名誉回復のためにやむを得ず訴訟を提起することになりました。

4 移送決定
  このような経緯から、私たちは、札幌地方裁判所に名誉毀損訴訟を起こしましたが、札幌地方裁判所は、被告らの移送申立てを受けて、東京地裁に移送する決定をしました。その理由は、被告らの関係者は東京周辺に在住していることや被告らが札幌に出廷する期日調整が困難であるといった技術的理由から、東京地裁に移送を決定しました。
  しかし、非常勤講師である植村さんと著名なジャーナリストや出版社の経済格差は明らかです。しかも、植村さんは名誉毀損の被害者であり、その名誉毀損によって職を失った方です。それにも関わらず、植村さんと弁護団に毎回、東京に出廷を求めることは極めて不公平です。また、移送決定は、マスメディアによる一市民に対する名誉毀損事件を事実上東京地裁の専属管轄とする結果を招く先例となる無謀かつ極めて不当な決定です。
  植村さんの被害の実態を十分に審理するためには、裁判は地元である札幌地裁で行うことが必要ですし、最もふさわしいと考えられます。そこで、私たちは札幌高等裁判所に抗告し、現在、審理されています。

4 植村事件は「自由」を守る闘い
  この裁判は、札幌の弁護士を中心に107名もの弁護士が代理人となっています。

  植村さんの名誉を回復するためであることは言うまでもありません。慰安婦問題をなきものにしたい者たちによって「捏造記者」のレッテルを貼られ、過去の言動をなきものにされようとしている言論の自由、脅迫や圧力等による大学の人事介入や大学の自治、学問の自由の危機。こうした自由の危機的状況を象徴する事件だと考えているからです。
  植村訴訟は、私たちは札幌地裁での審理を求めていますが、残念ながら札幌地裁は不当にも東京地裁への移送を決定してしまいました。札幌高裁の判断も予断を許しません。
  しかし、仮に、東京地裁に移送された場合であっても、講演会や裁判報告集会などを企画して、みなさんに裁判の状況をご報告したいと考えています。また、植村さんの名誉回復や今日の事態を打開するためには市民の皆様のご支援も必要になります。今後ともぜひ応援をよろしくお願いします。

2015年7月1日水曜日

東京訴訟第2回口頭弁論 (2015年6月29日)

植村隆さん名誉棄損裁判の東京訴訟第2回口頭弁論が6月29日(月)午後3時から東京地裁103号法廷で開かれた。
地裁前で、小林弁護士、中山弁護士と
廷内の傍聴席から見て左側の原告・弁護団席。開廷の15分前には、最前列に植村さんはじめ、中山武敏、穂積剛、小林節、神原元の各弁護士が着席し、後ろの列にも黒岩哲彦弁護士、角田由紀子弁護士らが陣取った。宇都宮健児弁護士らも続々駆けつけ、この日顔を見せた弁護団は18人となった。
対する右側の被告・弁護団席には、喜田村洋一弁護士ら2人の代理人が席に着いた。喜田村弁護士は、ぽっちゃりした体格。やや伸びた白いあごひげをなでて悠然と構える。98の傍聴席は、第一回に続きこの日も満席となった。

小林節弁護士の意見陳述 
3時、裁判官3人が入廷した。「それでは手続きを始めます」と裁判長。まず準備書面や書証の提出を確認した。
すぐに原告弁護団の小林節弁護士(慶応大名誉教授・憲法)が立ちあがり、「本件訴訟の意義」を、口頭で要旨次のように述べた。じゅんじゅんと説く静かな口調だった。

「私が植村さんの弁護団に加わり会見にも出たところ、旧知の右翼団体幹部から電話があって『植村という売国奴といつから友達になった』と言われた。そこで彼ら数人に会い、この裁判の書面を渡して『ともかく10分間読んでほしい。そのあとディスカッションしよう』と読んでもらった。半分は知的に納得してくれた。半分は『お前が言うなら信じる』ということで終わった」
「私たちは歴史的問題としての慰安婦について論争する意図はありません。私どもがここにいるのは、植村隆さんへの名誉毀損、それにご家族に対する人格侵害のことに関心があるからです。論点は、事実認識の問題として、植村さんは捏造記者であるか否かの一点です。つまり、ありもしない事実を作り上げて報道したのか否かだけです。私が資料を読む限り、植村さんが記事を執筆した当時、韓国において『挺身隊』と『慰安婦』は混用されていた。植村さんも混用したが、我が国の他の複数のマスコミも混用していた。それが後に峻別されるようになって、立証もせず「捏造だった」と決めつける。イデオロギー論争で勝手に相手を決めつけるのは、むなしい論争だ。そういう決めつけがなされていたと確認した。決めつけた側に悪意があり、植村さんの名誉が傷ついた典型的な名誉棄損です」

「『植村記者は捏造記者呼ばわりにも反論しなかったじゃないか』」という主張もあるが、私どもは他者から突然いわれなき批判を受けたとき、いちいち反論する義務はない。反論しないから『捏造』などと決めつけられるいわれもない」 「植村さんが『捏造記者』と言いつのられた結果、匿名の陰湿で危険な攻撃が、植村さんの家族や、息子の同姓の同級生にまで行われる。『捏造記者の娘だから』として、10代の女の子までが『自殺させる』などという攻撃をされた。私は、それを見過ごせません」
 「したがって、今は何よりも、植村さんに『捏造記者』とレッテルを張った原点を糺さなければならない。そうしてレッテルを取り除いた後にこそ、公平な歴史論争ができる。でなければ、歴史論争ではなくただの集団いじめになってしまう。被告には、植村さんが捏造記者だというなら証明していただき、証明ができないなら責任をとっていただく。そういう意図で弁護団に入りました。以上です」

穂積剛弁護士からの求釈明陳述
 続いて原告側の穂積弁護士が立ち上がり、被告側が提出した準備書面について、3点の釈明を求めた。
 第1点として、被告側の準備書面に被告の記述は「推論である」という表現がいくつもある点を指摘し、「推論とは、事実摘示か論評か」とただした。つまり、植村さんの記事を「捏造」などと記した西岡氏が、それを事実として書いたのならそれが真実であることなどを立証しなければならない。そうではなく、西岡被告は単なる論評、意見として書いたということにしようとするのか。そのどちらなのか、という点の確かめである。

 被告側の喜田村弁護士は、「私は原告側の求釈明の書面をけさ見たばかり。必要があれば改めて書面で回答したい」と、座ったままで答えた。これに対し穂積弁護士は、「平成10年の最高裁判決を喜田村弁護士はよくご存じのはず。ここで答えられるのでは」とたたみかけた。

  平成10年1月30日に最高裁第二小法廷は、三浦和義氏の朝日新聞社に対する名誉棄損訴訟で、「読書歴等から犯行動機を推論した記事は、推論結果を事実として摘示したものというべきだ」と判断している。この時の三浦氏の代理人が喜田村洋一弁護士(判決、http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=63041)。 しかし喜田村弁護士は「平成9年と10年に最高裁判断が出ている。ここで話しても生産的ではないので、書面でやりたい」と即答を避けた。裁判長も「(即答は)無理だと思いますよ」と述べ、後日書面で答えることになった。
 求釈明の第2点として、穂積弁護士は西岡論文の他のいくつか の部分を挙げ、これらについては「捏造したのは事実である」と主張するということか、と質問。これについても喜田村弁護は「検討したい」と、座ったままかわした。
 
 求釈明の第3点として、穂積弁護士は「被告は、真実性の抗弁あるいは真実相当性の抗弁を主張しないのか」と問うた。西岡氏が「捏造」と書いたことがもし「事実の摘示」であるのなら、西岡氏が責任を免れるためには、そのことが真実であったか、真実と信じるに足りる相当性があったことを立証しなければならない。そういう主張をするのか否か、と迫ったのである。
 喜田村弁護士は、「その部分については、もちろん対応いたします。ただ時間はかかります」と答えた。裁判長が「次回期日までは4カ月あるが、書面はいつになるか」と聞き、喜田村弁護士は「きょうはどういう順番で進むのか分からなかった。8月末くらいには(釈明等の)書面を出したい」と述べた。裁判長の「次回は10月26日午後3時から、この法廷で行います」との確認で、午後3時15分に閉廷した。
(司法クラブでの記者会見なし)       (K)


東京訴訟報告集会(2015年6月29日)

第2回口頭弁論終了後、午後4時から参議院議員会館の講堂で報告集会が持たれた。
ここにも100人を超える人が参加、報告集会だけに駆けつけた学生もいた。

山口正紀さん講演

この日のメインの一つは、元読売新聞記者のジャーナリストで、「人権と報道・連絡会」世話人の山口正紀さんによる「安倍政権のメディア統制と『植村攻撃』」と題した講演だった。
 山口さんは、読売新聞記者として週刊金曜日にメディア批判を書いたところ、社外の「救う会」などから「山口記者に書かせていいのか」とのクレームが来て、読売社内で何度も配転され、結局辞めた経緯を語った。
また、自分も91年12月に従軍慰安婦の記事を書いたことに触れ、植村さんの91年8月の記事は加害の歴史を見つめ直す流れの中で高く評価される、とした。「西岡さんたちにはきちんと謝罪してもらわないといけない」と話した。
 
 朝日新聞社の慰安婦報道についての第三者委員会が、植村さんの記事について(捏造については否定する一方)「誤解を招くようなところがあった」「不用意」などともしたことについては、執筆当時の韓日における挺身隊と慰安婦についての認識を考えれば今になって「不用意だった」とか「誤解を招く」と言うことは「許し難い」と断じた。「慰安婦たちが戦場を連れ回され、逃げ出せなかった。一人の女性としての尊厳を日本政府が奪ったことは、間違いない」とも語った。
 
 講演は、安倍政権によるメディアに対するアメとムチに説き及び、「メディア幹部を料亭などに呼び、飲み食いしつつ安倍さんが直接、秘密法や靖国について話す。渡辺恒雄さんは8回くらい、産経も。朝日も3回くらい行っている。飼いならされている。他方で、気に入らないメディアは呼び出したりする。先日の自民党若手勉強会の『マスコミを懲らしめる』などの言いたい放題はその延長にある」。
 イスラム国人質事件での政府の対応のおかしさや、それを利用しての憲法破壊など、安倍政権下でのさまざまな危険な動きについても指摘した。
 最後に「植村さんは、そうした流れを押し返し、彼らを追いつめるところまで進んできた。日本社会を変えるために植村さんを孤立させてはいけない。私たちのやっている秘密保護法に対する裁判と植村さんの裁判は、権力にとっては困ったことなのだ。この闘いは、委縮攻撃を受けている大手メディアの若い記者にも、頑張れることを示すことができる、大きな意味がある」と結び、会場の拍手を受けた。

神原元弁護士からの報告

 続いて、神原元弁護士が裁判の現在の段階を報告した。
この日の第2回口頭弁論での主な手続きは、被告側の準備書面が出て来た事、それにより被告側の主張が見えて来たことだ、とする。その上で、簡明に法的な解説をした。
 何かを書いて人の社会的評価を低下させたという名誉棄損訴訟でポイントとなるのは、被告が書いたことが事実なのか論評なのかだということだ。「誰誰はこういう嘘をついた」と書けば、それは事実。「誰誰は悪いやつだ」と書けば論評(評論)しただけ、つまり事実の摘示ではなく意見を述べたにすぎないこととなる。今回、被告が主に主張してきたのは、「『捏造』と書いたのは事実でなく論評だ」という主張だった。
 
一般的には「意見」を言うことは名誉棄損になりにくい。いま入口で、まさにそこが問題となっていると、神原弁護士は言った。
しかし続けて神原弁護士は、「被告側は『論評だ』と言うが、西岡氏は『植村さんは義理のお母さんを有利にする目的で、意図的な嘘を書いた』と書いている。『嘘つきだ』でなく、『嘘を書いた』とまで書いているのだ。その記述について被告側は「西岡氏は推論を書いたのだ」と抗弁して来ているため、きょうの法廷で「推論とは事実か論評か」などの求釈明をしたのだ、とした。
 求釈明の最後に「そもそも被告側は、真実性の主張をするのかしないのか、次回までに回答せよ」と迫り、次回の書面で回答しますという答えだったことも紹介した。仮に西岡氏が書いたものが「事実の摘示」だったとするのなら、西岡氏は「植村さんが捏造した」ということが真実であり、あるいは真実だと西岡氏が信じる相当の理由があったことを証明しなければならない。さらに書いたことが公共の利害にかかわり、公益が目的だったとして、違法性阻却を主張することになる、という。
 
 神原弁護士は、「きょうのやり取りは、いわば前哨戦。次回10月26日に双方の主張が出そろい、証拠調べについてもどこまで出て来るかがわかるだろう。次回の第3回口頭弁論が注目だ」とまとめた。

植村隆さんからのアメリカ講演報告

 報告集会のもう一つのメインは、植村さんによる米国レポートだった。
 米国の大学の招きで4月29日から5月8日まで、米国の6つの大学で8回の講演等をした。その経過と、植村さんが感じたことなどの報告だ。植村さんの話は、「勇気をもらったアメリカ講演」という演題の通り、生き生きとした内容だった。
 招いたアメリカの研究者たちは、嫌がらせに近い圧力に抗して、勇敢に植村講演を成功させたこと。話を聞いた学生らの感想には、「植村さんは世界の女性のために闘ってくれているのです。ありがとう」など、「ありがとう」という言葉が目立ったこと。取材に来た産経新聞記者は比較的客観的な記事を送稿したことなど、興味深い事実が報告された。
 同行したジャーナリストの徃住嘉文さんと長谷川綾さんの2人も会場におられ、長谷川さんは、「コロンビア大の歴史学者キャロル・グラックさんをはじめ何人もの人が植村さんに『ありがとう』と言った。民主主義への攻撃、不正義に対して闘っている植村さんは、私たちのために代表して闘ってくれているのですから、と言った。帰国して植村さんは『人生は捨てたもんじゃない。脅迫され、仕事を失った。でも世界中に友達が出来た』と話した。きょうこの会場にもこれだけの人が集まっている。日本の民主主義社会も捨てたもんじゃないと思う」と述べた。(K)

 ※同行した2人のルポは「植村隆氏のスピーチを米国市民はどう受け止めたか」(『週刊金曜日』2015年5月22日号)と「植村隆氏の訪米講演は何を投げかけたか」(『世界』2015年7月号)に掲載されています。ぜひお読みください 



植村隆さん(元朝日新聞記者)を応援するサイトです。

1991年に書いた「従軍慰安婦」に関する2本の署名記事。23年後に「捏造」のレッテルを貼られ、植村さんは言論テロとも言える攻撃を受けています。

非常勤講師として勤務する大学へも脅迫状や大量の抗議メール・電話が届き、高校生の娘さんはネット上で「自殺に追い込め」など脅しの言葉にさらされています。 言論で対抗してもデマの拡大は止まりません。

そこで、汚名を晴らし家族らの人権を守り、大学の安全をとり戻すため、2件の名誉棄損裁判を提訴しました。2015年1月、週刊誌で「捏造記者」とコメントした西岡力氏とその発行元を被告に東京地裁へ。同2月、西岡氏の言説を拡大し脅迫を肯定するような記事まで書いた櫻井よしこ氏と掲載した週刊誌などの発行元3社を被告に札幌地裁へ。

「植村応援隊」はこの裁判や植村さんの言論活動を応援するために、1月30日に結成されました。ぜひ一緒に応援してください。