2015年8月16日日曜日

植村さん、金学順さんの墓前へ。ナヌムの家も訪問。

金学順さんの墓前で(天安・望郷の丘)
  国際シンポジウム参加のため、8月12日からソウルに滞在している植村隆さんが15日午前、元慰安婦の故・金学順さんが眠る望郷の丘(韓国中部・天安)を訪ね、初めての墓参を果たしました。
 地元テレビの取材に対し、植村さんは「金学順さんが勇気を絞り名乗り出たことで、慰安婦の事実が知られるようになった。『うそつき』『売春婦』と名誉を傷つけられているのは絶対許せない」と、改めて思いを語りました。
 午後は京畿道広州市にある「ナヌムの家」で、3人の元慰安婦ハルモニと面会。ナヌムの家は約10人の元慰安婦が共同生活を送る福祉施設で、ハルモニたちは植村さんへ「がんばってね」「安倍は許せん」など声をかけました。
 また「ナヌムの家」の安信権・所長は「様々な攻撃を受けて、日本で大変な暮らしをされているのではと心配している」と植村さんを気遣いました。
植村さんはあと数日、ソウルへ滞在する予定です。






2015年8月14日金曜日

(朝鮮日報日本語版) 植村隆氏「慰安婦がねつ造だとする勢力と闘う」

(朝鮮日報日本語版) 植村隆氏「慰安婦がねつ造だとする勢力と闘う」朝鮮日報日本語版 8月14日(金)8時40分配信

 「皆さん、私は(慰安婦問題を)ねつ造した記者ではない。不当な攻撃には絶対に屈しない」

 50代の日本人ジャーナリストは日本語で「絶対に」と言う時、力を込めた。24年前の1991年、元従軍慰安婦の金学順(キム・ハクスン)さん=故人=の証言を初めて日本の有力紙・朝日新聞で報道したという理由で、日本の極右勢力から非難され、脅迫を受けてきた元同紙記者の植村隆氏(57)だ。

 14日にソウル市内で開かれるシンポジウム「戦争と暴力の世紀の女性を考える」に出席するため韓国に来た植村氏。13日に記者会見を行った。同氏が韓国で記者会見をするのは初めてだ。会見場に集まった記者約50人のうち、半数以上が日本の記者だった。

 植村氏は「金学順さんの墓の前で『ジャーナリストとしてあらためて慰安婦問題にしっかり取り組む』と誓いたい」という言葉で会見を始めた。元慰安婦の証言を初めて報道しながら、極右勢力から非難を浴びて遠ざかっていた慰安婦問題を再びきちんと取材し、研究するという宣言だ。同氏は1991年8月11日、「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という見出しで証言記事を書いた。その3日後、金学順さんが実名を公表し、ソウルで記者会見を開いた。この会見が長年埋もれていた元慰安婦約200人の証言を引き出すきっかけになった。

 しかし、植村氏は極右勢力の「公共の敵」になった。極右勢力は「慰安婦」でなく「挺身隊」という言葉を使ったという理由で同氏を「ねつ造記者」とののしった。同氏は「当時は慰安婦を指す言葉が一般化していなかったため、ほかの報道機関も『挺身隊』と『慰安婦』を混用していた」と説明した。昨年2月にある日本の週刊誌が植村氏について「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」という記事を掲載してから、同氏はテロの脅迫も受けた。その報道で同氏を専任教授として任用する予定だった神戸松陰女子学院大学に「任用を取り消せ」という抗議のメールや電話が殺到、教授任用は結局白紙となった。植村氏は「最初は私の説明をきちんと聞いてくれなかった大学に腹が立ったが、時間が経つにつれて大学も被害者だと思えてきた」と語った。
 現在非常勤講師を務めている北海道の北星学園大学も事情は同じだ。植村氏は記者会見で、何者かが大学に送った脅迫はがきを公表した。「出て行け、この学校から! 日本から出て行け! 売国奴!」 「日本で稼がずに好きな韓国に行け」などと書かれていた。さらに、同氏の娘も極右勢力の脅迫に悩まされているという。インターネットのサイトに娘の実名を出して「この子の父親のせいでどれだけ多くの日本人が苦労していることか。自殺するまで追い込むしかない」などの書き込みが頻繁にアップされ、娘が通う大学には「どこに逃げようと殺してやる。必ず殺す」というはがきが届いたという。

 それでも植村氏は「極右勢力の非難に苦しみ、孤独だったのは事実だが、再び1991年に戻っても同じ記事を書く。あの記事のおかげで私を支援する数多くの市民に会うことができたし、世間に慰安婦問題を伝えることができたからだ」と言った。同氏は今後、積極的な対応に出るとしている。このほど「ねつ造記者」と非難したジャーナリストや教授を相手取り訴訟を起こした。「私は韓国のために記事を書いたものではない。歴史的真実を明らかにするため、歴史的事実を書いただけだ」と語った。
戦争と女性の人権問題の国際シンポジウムに招かれ、12日にソウル入りした植村隆さんは13日、ソウル市内の東北アジア歴史財団で日韓の記者を対象に記者会見しました。
韓国各紙に加え、日本各紙のソウル特派員も出席。韓国各紙が記事を出したほか、時事通信、産経新聞が速報を流しています。
【時事通信】
「バッシングに屈しない」=慰安婦報道で元朝日記者
時事通信 8月13日(木)19時42分
【ソウル時事】元朝日新聞記者で従軍慰安婦報道に関わった北星学園大(札幌市)非常勤講師の植村隆氏が13日、ソウルで記者会見し、「不当なバッシングには絶対に屈しない」と強調した。

植村氏は「1991年の記事で、当時韓国で慰安婦の意味で使われていた『挺身(ていしん)隊』という言葉を使った。それが原因で『捏造(ねつぞう)だ』などと激しいバッシングを受けてきた」と説明。「当時は他のメディアも同様の表現を使っていた。私は捏造記者ではない」と述べた。また、「勤務先の大学だけでなく、家族まで脅迫される異常な事態になった。攻撃の異常さが違う」と訴えた。
【産経新聞】
http://www.sankei.com/world/print/150813/wor1508130026-c.html
2015.8.13 18:40
【歴史戦】植村隆元朝日記者「捏造でないことが証明されれば、有名記者になる」 ソウルで記者会見
 【ソウル=名村隆寛】元朝日新聞記者で慰安婦報道に関わった北星学園大(札幌市)の非常勤講師、植村隆氏が13日、ソウル市内で記者会見し「私は捏造記者ではない。不当なバッシングには絶対に屈しない」とあらためて強調した。
植村氏の会見は、韓国政府系機関の東北アジア歴史財団の会議室で行われた。
植村氏は、自らが1991年に書いた記事で、当時韓国で慰安婦の意味で使われていた「挺身隊」という表現を使ったことが「日本国内で『ねつ造だ』などと批判を受けてきた」と主張。「当時、他のメディアも同様の表現を使っていたにも関わらず、私だけが標的とされた」とし、「日本の異常なジャーナリズムの状況」として批判した。
自らの報道への批判をめぐり、名誉毀損の訴訟を起こした植村氏は「(自分の記事が)ねつ造でないことが証明されれば、(自分は)ひとりの有名な記者になる」と述べた。
さらに「こんな些細なことで騒ぐことは慰安婦に対する冒涜(ぼうとく)であり、慰安婦の尊厳のためにも負けられない」とも語った。

2015年8月11日火曜日

2015年8月5日水曜日

植村隆さんと弁護団が移送決定取り消しを求める抗告と署名について記者会見

 
「植村さん名誉棄損訴訟(被告:桜井よしこ氏ほか)の東京移送」の取り消しを求め、札幌弁護団は7月31日に札幌高裁へ抗告書を提出しました。


弁護団事務局長の小野寺弁護士と植村さん(司法記者クラブ)
 また同じ日、北星学園大学卒業生有志の呼びかけで集まった署名、2264筆も高裁へ提出されています。国内のみならず中国、アメリカ、フランス、ドイツからも届いたとのことです。

 ところが、提出後にも180筆にのぼる署名が届き、8月3日、高裁あて追加で提出されました。
 2週間ほどの短い期間にも拘わらず、移送取り消しを求める署名が2444筆にもなったのです。

応援してくださる多くの方々のご協力の賜物です。


 植村さん、そして弁護団もこのことに驚き、感謝を示す機会にもなると、移送に関して初めての記者会見を開きました。


 これまでの経過、移送決定の根拠の不当性などを訴えるともに、提出された署名について感謝を込めて報告しました。


植村隆さん(元朝日新聞記者)を応援するサイトです。

1991年に書いた「従軍慰安婦」に関する2本の署名記事。23年後に「捏造」のレッテルを貼られ、植村さんは言論テロとも言える攻撃を受けています。

非常勤講師として勤務する大学へも脅迫状や大量の抗議メール・電話が届き、高校生の娘さんはネット上で「自殺に追い込め」など脅しの言葉にさらされています。 言論で対抗してもデマの拡大は止まりません。

そこで、汚名を晴らし家族らの人権を守り、大学の安全をとり戻すため、2件の名誉棄損裁判を提訴しました。2015年1月、週刊誌で「捏造記者」とコメントした西岡力氏とその発行元を被告に東京地裁へ。同2月、西岡氏の言説を拡大し脅迫を肯定するような記事まで書いた櫻井よしこ氏と掲載した週刊誌などの発行元3社を被告に札幌地裁へ。

「植村応援隊」はこの裁判や植村さんの言論活動を応援するために、1月30日に結成されました。ぜひ一緒に応援してください。