(朝鮮日報日本語版) 植村隆氏「慰安婦がねつ造だとする勢力と闘う」朝鮮日報日本語版 8月14日(金)8時40分配信
「皆さん、私は(慰安婦問題を)ねつ造した記者ではない。不当な攻撃には絶対に屈しない」
50代の日本人ジャーナリストは日本語で「絶対に」と言う時、力を込めた。24年前の1991年、元従軍慰安婦の金学順(キム・ハクスン)さん=故人=の証言を初めて日本の有力紙・朝日新聞で報道したという理由で、日本の極右勢力から非難され、脅迫を受けてきた元同紙記者の植村隆氏(57)だ。
14日にソウル市内で開かれるシンポジウム「戦争と暴力の世紀の女性を考える」に出席するため韓国に来た植村氏。13日に記者会見を行った。同氏が韓国で記者会見をするのは初めてだ。会見場に集まった記者約50人のうち、半数以上が日本の記者だった。
植村氏は「金学順さんの墓の前で『ジャーナリストとしてあらためて慰安婦問題にしっかり取り組む』と誓いたい」という言葉で会見を始めた。元慰安婦の証言を初めて報道しながら、極右勢力から非難を浴びて遠ざかっていた慰安婦問題を再びきちんと取材し、研究するという宣言だ。同氏は1991年8月11日、「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という見出しで証言記事を書いた。その3日後、金学順さんが実名を公表し、ソウルで記者会見を開いた。この会見が長年埋もれていた元慰安婦約200人の証言を引き出すきっかけになった。
しかし、植村氏は極右勢力の「公共の敵」になった。極右勢力は「慰安婦」でなく「挺身隊」という言葉を使ったという理由で同氏を「ねつ造記者」とののしった。同氏は「当時は慰安婦を指す言葉が一般化していなかったため、ほかの報道機関も『挺身隊』と『慰安婦』を混用していた」と説明した。昨年2月にある日本の週刊誌が植村氏について「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」という記事を掲載してから、同氏はテロの脅迫も受けた。その報道で同氏を専任教授として任用する予定だった神戸松陰女子学院大学に「任用を取り消せ」という抗議のメールや電話が殺到、教授任用は結局白紙となった。植村氏は「最初は私の説明をきちんと聞いてくれなかった大学に腹が立ったが、時間が経つにつれて大学も被害者だと思えてきた」と語った。
現在非常勤講師を務めている北海道の北星学園大学も事情は同じだ。植村氏は記者会見で、何者かが大学に送った脅迫はがきを公表した。「出て行け、この学校から! 日本から出て行け! 売国奴!」 「日本で稼がずに好きな韓国に行け」などと書かれていた。さらに、同氏の娘も極右勢力の脅迫に悩まされているという。インターネットのサイトに娘の実名を出して「この子の父親のせいでどれだけ多くの日本人が苦労していることか。自殺するまで追い込むしかない」などの書き込みが頻繁にアップされ、娘が通う大学には「どこに逃げようと殺してやる。必ず殺す」というはがきが届いたという。
それでも植村氏は「極右勢力の非難に苦しみ、孤独だったのは事実だが、再び1991年に戻っても同じ記事を書く。あの記事のおかげで私を支援する数多くの市民に会うことができたし、世間に慰安婦問題を伝えることができたからだ」と言った。同氏は今後、積極的な対応に出るとしている。このほど「ねつ造記者」と非難したジャーナリストや教授を相手取り訴訟を起こした。「私は韓国のために記事を書いたものではない。歴史的真実を明らかにするため、歴史的事実を書いただけだ」と語った。
50代の日本人ジャーナリストは日本語で「絶対に」と言う時、力を込めた。24年前の1991年、元従軍慰安婦の金学順(キム・ハクスン)さん=故人=の証言を初めて日本の有力紙・朝日新聞で報道したという理由で、日本の極右勢力から非難され、脅迫を受けてきた元同紙記者の植村隆氏(57)だ。
14日にソウル市内で開かれるシンポジウム「戦争と暴力の世紀の女性を考える」に出席するため韓国に来た植村氏。13日に記者会見を行った。同氏が韓国で記者会見をするのは初めてだ。会見場に集まった記者約50人のうち、半数以上が日本の記者だった。
植村氏は「金学順さんの墓の前で『ジャーナリストとしてあらためて慰安婦問題にしっかり取り組む』と誓いたい」という言葉で会見を始めた。元慰安婦の証言を初めて報道しながら、極右勢力から非難を浴びて遠ざかっていた慰安婦問題を再びきちんと取材し、研究するという宣言だ。同氏は1991年8月11日、「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という見出しで証言記事を書いた。その3日後、金学順さんが実名を公表し、ソウルで記者会見を開いた。この会見が長年埋もれていた元慰安婦約200人の証言を引き出すきっかけになった。
しかし、植村氏は極右勢力の「公共の敵」になった。極右勢力は「慰安婦」でなく「挺身隊」という言葉を使ったという理由で同氏を「ねつ造記者」とののしった。同氏は「当時は慰安婦を指す言葉が一般化していなかったため、ほかの報道機関も『挺身隊』と『慰安婦』を混用していた」と説明した。昨年2月にある日本の週刊誌が植村氏について「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」という記事を掲載してから、同氏はテロの脅迫も受けた。その報道で同氏を専任教授として任用する予定だった神戸松陰女子学院大学に「任用を取り消せ」という抗議のメールや電話が殺到、教授任用は結局白紙となった。植村氏は「最初は私の説明をきちんと聞いてくれなかった大学に腹が立ったが、時間が経つにつれて大学も被害者だと思えてきた」と語った。
現在非常勤講師を務めている北海道の北星学園大学も事情は同じだ。植村氏は記者会見で、何者かが大学に送った脅迫はがきを公表した。「出て行け、この学校から! 日本から出て行け! 売国奴!」 「日本で稼がずに好きな韓国に行け」などと書かれていた。さらに、同氏の娘も極右勢力の脅迫に悩まされているという。インターネットのサイトに娘の実名を出して「この子の父親のせいでどれだけ多くの日本人が苦労していることか。自殺するまで追い込むしかない」などの書き込みが頻繁にアップされ、娘が通う大学には「どこに逃げようと殺してやる。必ず殺す」というはがきが届いたという。
それでも植村氏は「極右勢力の非難に苦しみ、孤独だったのは事実だが、再び1991年に戻っても同じ記事を書く。あの記事のおかげで私を支援する数多くの市民に会うことができたし、世間に慰安婦問題を伝えることができたからだ」と言った。同氏は今後、積極的な対応に出るとしている。このほど「ねつ造記者」と非難したジャーナリストや教授を相手取り訴訟を起こした。「私は韓国のために記事を書いたものではない。歴史的真実を明らかにするため、歴史的事実を書いただけだ」と語った。